「将来の参考のために・・・」。
そう言ってA様が初めて来店されたのは、まだ寒い3月のことだった。
私は、来場されたA様の要望に答えようと、エリア、ローン、税金のことなどを丁寧に説明し、気づけば3時間が経っていた。
翌週、過去3年分の源泉徴収票と勉強ノートを持って、 A様が再来場された。
戸建てかマンションか、どのエリアがいいのか、マンションの管理について、資産価値を実証する資料について、諸費用、ランニングコストなど・・・。多くの疑問や心配事を一つひとつ解消していった。
「35年ものローンを組み何千万という買物をするのだから、私は100%全てを納得したうえで決めるものだと思う。こんなに大切な買物を即断する方がおかしい。」と、A様はきっぱりおっしゃる。
わずか数時間で最良と思われる物件に巡り会う方もいらっしゃれば、数ヶ月、長ければ1年以上かけて検討し、やっとゴールに辿り着く方もおられる。
住まいとの出会いは人それぞれ、家の買い方に決まりはない。
私はA様にとことん付き合わせていただこうと心に決めた。
ようやく1件、A様が心を決めた物件に出会えた。
しかし、その数日後、「この物件、諦めるしかない」。ご主人が、ご自分にも言い聞かせるかのように奥様を説得されていた。
理由は転勤。
家の購入を上司に相談すると、夏に転勤の可能性があることをほのめかされたとのこと。
ご主人は奥様に「買った家に住まずに賃貸に出して、将来、自分たちが中古で住むのか?それとも単身赴任で二重生活に耐えるのか?転勤になって満足のいく生活をイメージできないのなら、家は諦めるしかない」とおっしゃった。
傍らではお子様がすやすやと眠っていらっしゃる。
私は込み上げるものを必死にこらえ、尋ねた。
「A様にとって、住まいとは何ですか?」。
ご主人は「家族が一番くつろげる場所です。誰がどう思おうと、たとえ価値が下がろうと、家族が心から満足できる場所です」とおっしゃった。
その言葉にさらに胸が熱くなった。
A様とじっくり話し合ったうえで、その物件は見送った。
全員が納得して結論を出したものの、私の胸にはどこかやりきれない思いが残った。
「あの部屋はもう売れましたか?」
5月のある日、奥様から突然の電話が入った。
同じ住戸を検討中の方はいらっしゃるがまだ空いていることを伝えると、「なくなっていたら、諦めがつくかと思ったのに・・・」と落胆されたご様子で電話を切られた。
それから数日後、私にとって一生忘れられない日が訪れた。
「あのね、買っちゃおうかなと思ったんです」と照れくさそうに言いながら、A様ご夫婦が来店されたのだ。
「もう来ないと決めていたのに来ちゃったな〜」と嬉しそうに顔を見合わせるお二人。
あまりしつこく転勤のことを尋ねるA様に、転勤はなさそうだと上司がこっそり教えてくれたのだそうだ。
そして、一つの約束を求められ、お申込をいただいた。その約束とは自分史上一番うれしい約束だった。
「これからも、私たち家族の住まいについては、Tさんが面倒をみてください。そしてずっと友達でいてください」