A様は駅前の分譲マンション暮らし。
便利で不自由はなかったが、体調が思わしくないお父様を引き取って介護したい、一戸建てでのんびりさせてあげたいと考えておられた。
そして、A様がどうしても一戸建てにくらしたい理由がもう一つあった。
昔、A様は知人の保証人となり、その肩代わりのため一戸建てのマイホームを手放したという経験をお持ちだった。
その後、賃貸住まいで残りを返済し、ようやく新築分譲マンションを購入された。だが、様々な思いが交錯し、いつのまにか家探しを始めておられた。
はじめに訪れた不動産会社で紹介された物件は、「こんな家しか住めないの?」と思うような狭いものや古いものばかり。
しかも、営業マンは「その予算じゃこんなもんですよ」と言わんばかりの態度。これなら買い換える必要はないと失望された。
しばらくしてA様は、査定だけでも・・・という気持ちから当社に来店された。それが私との出会いだった。
A様はあきらめ半分のご様子ながら、一戸建てを手放した経験があること、お父様の体調が気がかりなことなどを話された。
そこには、「もう一度、挑戦してみたい」と言うA様の諦めきれない本心がこめられていた。私はそれに応えたいと思った。
マンションの売却と並行して住みたい家を見つけることになった。
A様の希望を踏まえながら、希望外のエリアの物件を含め選択肢を広げて物件選びをすることとなった。
すると、他社で紹介された物件とは比較にならないような物件を提案することができ、すぐに気に入った家を見つけることができた。また、ほどなくA様のマンションにも購入の申込が入った。
しかし、想定より低い提示額にA様は落胆。結局、買い替えは白紙に戻った。
それから約2ヶ月後、A様の奥様から電話があった。どうしても一戸建てへの夢をあきらめきれないとおっしゃり、再び売却を再開した。しかし、すんなりとはいかない。
売れる気配のない状況にたまりかねたA様は「本当に売れますか?売るためにどこまでやってくれてるんですか?」と私に迫った。自分ではがんばっていたつもりだが、A様にそのような言葉を言わせてしまった自分を恥じた。
しばらく経ったある日、ようやくA様のマンションを買いたいという二度目の申込が入った。
提示額は一度目よりさらに低かった。
もちろん、A様は迷われた。私はずっと聞き続けてきた夢と切なる願いを思い出していた。もちろん、できる限り良い条件で売却するのが自分の職責。「もっと良い金額で売れるのを待ちましょう」と言うことは容易である。
しかし、これ以上見送ったとして状況は良くなるのか。お父様の体調も心配である。
やはり、これがラストチャンスだと私は思った。A様の夢も不安も話し合い、何度も資金のシミュレーションを行い、売却を勧めた。最終的に、A様はその額での売却に応じてくださった。私は親ほど離れたA様から信頼されたことがうれしかった。
A様が新居へ引っ越されたのは12月。入院されていたお父様は正月に一時帰宅された。
そして、それがお父様にとって最後の正月となった。
「新居で家族そろって迎えられた正月は、かけがえの無い時間でした。きっと父も喜んでくれたと思います。
もし、あのときにあきらめていたら、私は一生後悔していたでしょう」とA様はしみじみ語られた。
今では見晴らしのいい庭に花が咲き、念願の家庭菜園で作った野菜が食卓に並ぶ。
「Hさん、また来てや。田舎で不便やけどな」。
そう笑いながらおっしゃるA様の言葉は、すがすがしくて温かかった。